三年前・・・
K小学校の卒業式と最後のランドセル
懐かしい写真を見つけた・・・・。【私のデジタルカメラデビュー写真かも・・・】
今(05年3月16日)から三年前の正にその時の写真。
K小学校の卒業式と最後のランドセルの日、登校の様子。
まずは、写真をア〜ップ
1)、最後のランドセルを背負っての登校日。
まさに、花粉症真っ只中・・・・・。
K小学校まで、片道800m・・・毎日、毎日歩いたね〜!!
ひたすらまっすぐの大きな歩道だったね!!
私が隠れて見ているとも気がつかないで、一人でひたすら学校まで歩いた事もあったね!!
2)、学校の植え込み前で・・・・・。
片手には、花粉症セット持参だったね!!
まるで『免罪符』のようだったランドセル。
ランドセル=小学生なら笑って許される事も学ランになると途端に変ってしまいそうだったね。
【実際に、世間一般の見方は・・ランドセル=ある程度の免罪符】
3)、快晴の卒業式!!
この日のために、S学級の先生方とお友達と同級生のお友達と先生と・。
たくさん練習したモンね!!
4)、卒業式が終わって・・・・・。
S学級にて・・・・・。
(写真の私、今よりも4kgは、確実にやせていたな〜。手術で頚のリンパ取ったからかな〜・・・。顔のむくみが取れない?イヤイヤ、それはリッパな贅肉?)
それよりも、私のあごまでしかたかったきらの身長!!
5)、卒業式から帰って・・・・。
卒業証書を胸に・・・・・・・。
K小学校の同級生。
G中学校のように、特別に自閉症理解の為の授業を持ったわけじゃない。
でも、一年生の頃から、何かにつけて自然と交流を持てるように先生方が工夫をしてくださった。
小学校中学年までは、毎朝、毎朝、朝の会だけには顔を出していた。
【この朝の会は、ノーマライゼーションの目的で私が希望した。】
高学年に上がるに連れて、ベタベタする付き合いは、自然と減っていった。
でも、きらがいて当たり前の空気が、そこにはあった。
そんなこんなの同級生。
同級生がほとんど進学したK中学校を目の前に、K中学校を通り越してG中学校まで通った3年間。
同級生のお友達と通学路で何回もすれ違う。
「おはようございます〜」声を掛けてくれるのは、低学年で交流学級だったお友達。
文化祭りのS学級のステージ発表で手伝ってくれたお友達。
私がきらと一緒のときは、声もかけない子どもたち。
ところが、自立登校の練習で、きらに隠れてきらに付いていた私。
押しボタン信号で、きらが先に渡った。(私は赤信号で、反対側の歩道にいた。)
きらが一人で横断歩道を渡って、K中学校の子供達と逆方向、G中学校に向って歩いている。
すると、同じ歩道にいたきらと同級生のK中学校の生徒さん。
自分達だって、立派に遅刻ギリギリだというのに・・・・。
「あれ〜、きらくんだけだよ〜」
「おばちゃんは?」「一人で行かしていいのかな〜?」「見てようよ〜」etc
当たりをきょろきょろしながら、きらの行方を目で追っている・・・。
信号が青に変って、私が渡ってきたのに気が付くと・・・・
「ナ〜んだ、おばちゃんいるじゃん!!」とばかりに、K中学校に走っていった。
そんなシーンが、生徒さんが何回・何人も見られた。
これもK小学校のつながりがあるからこそ・・・・・・。
入学してすぐの午後。
授業の一環として、クライミングジムに出かけたある日。
ジムからの帰り道、K小学校の近くを通ったきらとN先生。
小学生の下校時間とぶつかった。
「あれ〜、きらくんだ〜!!」「きらくんだ〜」
高学年、中学年の子供達が声を掛けてきた。
「びっくりしたよ〜!!」
「いろんな子がきらの事を知っているんだね〜」 By N先生
地域で生きるために必要な仲間!!
まずは、きらがいるって事を知ってもらう・・・これが初めの一歩かな?
そして、きちんとした情報をお互いに伝え合う。
【時期によっては、障害理解に向けた時間を取ってもらうことも大切かもしれない】
それを育てられるのは・・・・義務教育の9年間!!
この子供達のいる空間を、絶対に、学校内の亜空間にしない。
職員室で、この子供達の先生が自然に振舞えるように、交流学年の先生方と自然と話が出来るように、学年の話し合いに出て当然であるように・・・・・。
そのために学校長を味方につける・・・・これは、保護者の役目!!
おえらい方々の「ノーマライゼーション」の声がけよりも「この子供達を学校の中心に!!」「事アルごとに、○○学級には顔を出すぞ〜」そんな姿勢と行動の校長先生の行動、活動の方がとっても効果があると実感した9年間。
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