「言葉が出ないね!」「決まった物しか食べないね!」「お友達と遊ばないね!」「自分の世界でしか生活していない感じだよね!」「身が軽いよね!」・・・・etc
きらは、重度の自閉症です。
その診断を受ける前後のきらを現した言葉の数々です。
話さない、オムツが取れるのが遅い、大便で遊ぶ、偏食がひどい、何かわからないけれども突然泣き出す、不機嫌になる、二回のベランダからの飛び降り、服を着るのがいやでスッポンポンで吹雪の外に飛び出そうとする、散歩のコースを変えただけで絶叫、そっくり返りのジダンだ・・・・・。
診断は、三歳のときでした。
「自閉症です。模倣力が無いので、知的にも遅れが出てくるでしょう。」「今、彼は彼の世界のルールでのみ生きています。しかし、彼の世界のルールではなくて私たちの世界を、みんなを意識する事が大切だと思います。」・・・・・・判定の先生の言葉です。
その時は、この言葉の深い意味が理解できずにいました。
「自閉症」・・・子どもがその障害だとしって初めて面と向き合った感じです。
二人目の妊娠と共にきらの奇異な言動は輪をかけてひどくなりました。
子どもの声を聞いただけで泣き叫ぶ頭を打つ、見ただけで泣き叫ぶ、逃げ惑う。
ご飯は温かいを通り越して熱いときしか食べない。食べる副食がない。アイスクリームも一個250円のみ。パッケージを変えても食べた瞬間に泣き叫ぶ・・・・。
そんな状態のきら・・・診断前でした。
このような状態で入園を引き受けてくれた幼稚園。
モンテッソリー教育を導入したばかりのカトリック系の幼稚園。
幼稚園の先生方の、きらに対する、私たち家族に対する真摯な気持ち、態度。
「きらくんは、言いにくいのですがやはりきちんとした専門的な診断を受けた方が・・。
他のお子さんと発達がちがっています。私たちサイドの方から専門の方の診断を受ける事が出来るように手配をしてもいいですか?」
そして、先に述べた経緯をたどります。
むつ市は私立の幼稚園に通いながら、週に一回地域の小学校の言葉の教室に通うシステムになっていました。
遊びが中心・・・・・その中で、上履きを履く為のアプローチ。全面介助から部分介助へ。
二人羽織から一人で・・・。その具体的支援靴、かかとのフックにおおきなリングを取り付けて、自分で引いて履きやすいように・・・。
このポイントはすぐに幼稚園に伝えて同じように取り組みました。
でも、それ以外の指導は、家庭での指導は・・・「家庭でこれといって取り組む必要は無いですよ!!きらくんは、まだ小さいし、わかっていることも少ないし今までどおり過ごしてください。」
家庭で取り組まなくていいのかな?小さいからこそ、家庭で毎日取り組む事が大切なのではないかな?
障害があるとしつけは専門家任せなの?
小さくても大切な事、小さいからこそ取り組まなければいけないのではないの?
出来る事が少ないからこそ、だからこそ、小さいうちから家庭で毎日取り組まなければいけないのではないの?
・・・・・・その時の私の疑問でした。
その頃から、毎月万単位の出費になるほど専門書を読み漁りました。
教育(家庭、学校)、行動療法、薬物療法、先輩の保護者の手記・・・・。
九州の姉から「我が子よ、声を聞かせて。自閉症と戦った母と子」を教えてもらいました。
「うん。これだ〜!!この本を参考に家庭でやれる事をピックアップしよう!!」・・・始めに自分の参考にした本です。
そうこうするうちにパパリンの仙台転勤が決まりました。
また、同じ官舎の友人が「娘に自宅で行っている幼児教育部門に障害児枠があるの。むつには教室が無いから通信教育で行っているけれど、仙台に教室があるよ!!仙台教室は障害児枠はないみたいだけど・・・。仙台に行ったら直接問い合わせてみたら?とりあえず、家にある教材を貸すから、きらくんが興味を示すかやってみない?カードのフラッシュのポイントはどれだけ早くめくるか?」。
10枚のカードからの始まりです。きらの機嫌の良いときに合わせて1秒に2枚を意識してのフラッシュ・・・きらは見ていました。・・・・七田式との出会いです。
転勤で一番の不安は幼稚園でした。
「障害のある子を受け入れてくれる幼稚園があるのか?」「モンテッソリー教育は、きらにあっている。教材も解りやすい。ステップを踏みやすい。行動にメリハリがある。次もモンテッソリー教育を導入している幼稚園がいい。」・・・・・幼稚園の園長先生に上記の事を告げて、仙台で受け入れてくれる幼稚園がないか探してもらいました。
そして、受け入れを表明してくれた幼稚園に入園が決まりました。
政令指定都市仙台、福祉が充実していると思いきや全然でした。 引越し前から電話で予約を入れていた児童相談所・・・サービス自体も少なく、全くといっていいほど親の選択肢が無い。その上、転勤族は検診で見つかった方々の後・・・。空が出来てから・・。前もって幼稚園を決めていて良かった・・・。
行政は当てに出来ない。専門家と呼ばれる人も知らない。
こうなったら、自分でやるしかない!!
来年の就学に向けて、学校教育に付いてノーマライゼーションに付いて、いろいろな療育方法に付いて・・・・。
友達も誰もいない仙台で、一からの始まりです。
きらの療育は本からの独学と自分流へのアレンジです。
専門家の方々は、よくいろいろな療育方法を試みる事、アレンジする事、組み合わせる事に否定的です。
しかし、そのいろいろな指導方法を伝授してくれる人もいない環境では、自分の子ども、自分の家庭環境にあった自分独自の療育方法を作っていくしかありません。
きらの場合は・・・・・もともと、教育、しつけは家庭が基本。これは、障害の有無に関係ありません。
視覚支援、構造化、認知学習・・・・まずは、それに必要な動きを身体に習得させる必要があります。(スプーンのつかみ方、使い方を二人羽織で繰り返し、身体で覚えてもらうのです。)まずは、必要な身体の動き、関節の使い方を教える事から始まりです。
幼児期学習面、勉強へ取り組む姿勢は七田式。(担当の先生は、いろいろな経験から子どもは育つ・・と言う考えの持ち主でした。それも、きちんとした経験を・・)
それと同時並行して、コロロメソッドの本を読み始めました。
七田の教室が終了すると、「自閉を超えて」(上、下巻)の発達プログラムを参考に家庭内学習、行動学習を始めました。
彼にわかりやすい教え方、環境設定を・・・・・。
TEACCHの本を読みました。
学校の中の構造化(環境、時間割、休み時間のプログラム導入など)を担任の先生に働きかける・・・学校との戦いの日々。
学校と家庭の間に医療、カウンセリングという専門職の方が入ってくださったことで、学校との関係がスムーズに・・・。
学校と家庭・・・両輪の上に子どもいることで、きらは落ち着き、着実にいろいろなスキルを身に着けていきます。
学校と家庭・・・馴れ合うこと無く、率直にお互いに意見を出し合える関係、環境。
学校では、担任の先生にいろいろな場面、プログラム内容を働きかけるとともに、担任の先生が学校内で動きやすいように、発言しやすいような環境設定にする為に管理職に働きかけました。
学校こそ常識が中々通じない、縦社会だと感じたからです。
そして、中学へ進学。
学習環境を考えて越境入学へ・・・・教育委員会との話し合い。担任、校長先生との話し合い。学区の中学校見学、その時の越境へ向けてのアプローチ・・・・。
そして、トータル7時間の教育委員会との話し合いの末の越境入学。
晴れて、昨年(02年)中学生に・・・・。
学校の事以外にも様々な事がありました。
少しずつ、書いていく事ができたらと思います。
重度の子どもでもアプローチ次第で、中軽度へ・・・・。
「出来ない!」のではなくて、彼らにあったアプローチをしていないだけ、方法を教えていないだけなのだと・・・・。
彼らが習得するのに必要な時間経過を追っていないだけなのだと・・・。
彼らにあった学習方法を・・・。
一緒に生きていくために・・・・・・・。
