08年 6月 3日(火)
「子どもが教えてくれたこと」
・・・・・ありのままの姿を認める
私には二人の子供がいます。四月から授産施設ポッケの森(仙台市太白区人来田)に通う自閉症の長男と、中学生の次男です。
ただ今、思春期真っただ中の次男は、「あー」言えば「こー」言うの繰り返し。自分に都合の悪いことはさらりと流すか生返事。そして、時折、こちらがドキッとするほど大人びた意見を出します。いらいらさせられながらも、彼がきちんと自分の意見を持ち、言動に表し、それを親である私たちにぶつけてくれることに安堵(あんど)しています。
保護者からの相談や勉強会のテーマの要望が多い項目として、兄弟・姉妹児との関係があります。それに対し私は、次男が私に教えてくれたことを話します。
障がいの有無に限らず、なにかしらのスペシャルサポートを必要とする子供がいると、保護者の注目や時間はその子供に集中します。ややもすると保護者は、その兄弟・姉妹児に、簡単な現状説明をしただけで、もしかしたら「話しても分からないだろうから」「分かってくれるはず」「仕方がないことだから」と説明もせずにその状況を受け入れさせます。
確かに保護者に余裕がなく、実際に、そうせざるを得ない現実もあります。わが家も、次男からの大きなSOSサインが発せられるまでそうでした。
次男からのSOSサインのひとつは、幼稚園の年少の時の言葉。「どうしていつも僕が待つの? 何でいつも僕が我慢なの? そんなのおかしい」。初めて家庭外の世界を知り、いつも無意識に我慢をしていた自分、それを強いていた私たちに疑問を感じたのです。この言葉で、初めて、私たち夫婦は、親の都合を次男に押し付けていたことに気が付きました。「僕とちゃんと向き合って」という大きなサイン。長男を預かってくれる人を探し、毎週、次男と二人だけの時間を持つようにしました。ながらではなく、次男と正面から向き合う大切な時間です。
もうひとつは、小学一年生の時、状態が落ち着かない長男に対しクールな対応をする私たちに発した言葉。「どうしてお父さんもお母さんもお兄ちゃんに厳しいの…。僕と態度が違うの。お兄ちゃんに笑わないの」。この言葉で、長男の障がいについての簡単な説明はしても、養育について、次男に何も話をしていないことに気付きました。大切な家族なのに蚊帳の外にしていたのです。彼の分かる範囲での説明と彼の意見を求めることをおろそかにしていたのです。
彼からのこの二つのサインがなければ、長男の障がいを大義名分に、親の都合を優先し、次男と向き合わないままでした。昔の次男は、すべてのことにおいて常に周りの都合を優先し、自分の考えを出しませんでした。逆にいえば、自分の考えを持つ、意見を出すことに罪悪感すら持っていました。
「障がいのある兄の面倒をみる」「親に迷惑をかけない」「親にとって都合のよい言動の子供であることで自分という存在が認められる」―無意識にそうでなければならないと思っていたのです。これでは、自分という個人の人格が形成されません。
保護者がありのままの自分を認めてくれるという安心感がすべてのことのベースになります。そのためには、保護者にも現状を一歩さがって見る心の余裕、自分と向き合う時間が必要になります。
親として、まだまだ修業中。とはいえ、お手柔らかにというのも本音です。
一月からの半年間、私見にお付き合いいただき、ありがとうございました。