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「クラシック名曲集」などという名のついたCDに必ず収録されている作曲家であり、その手の音楽に全く興味のない人も一曲くらいは聴いた事のあるというために、ショパン(1810〜1849)の音楽は俗っぽくとらえられがちである。私自身、恥ずかしい話だが、つい最近までそう感じていた。レコード屋のクラシックコーナーへ度々足を運ぶ人たちの中には、ショパンの音楽をそのように捉えてしまっている人が多いであろうと思う。それは間違いとは言えない。ショパンの音楽には、口ずさみやすい旋律や理解しやすい和声をもったものが多いからだ。しかし、間違いとは言えないにしても、私は以下のように断言できる。「もったいない」。そう、もったいないのだ。ただ単に俗っぽいというだけでショパンの芸術性から距離をおいてしまうことは、視野を非常にせばめてしまうことになる。ショパンの音楽はただ「俗っぽい」だけで、「俗物」ではないのだ。 私はショパンの音楽を大きく二分して考えている。即ちそれは、「ロマン派的音楽」と「ショパン的音楽」である。「ロマン派的音楽」とは、彼の生きた時代特有の時に甘く明るい、時にはすっぱくて湿っぽい旋律、熱情的な不協和音などを持った音楽で、有名なところでは「革命」という愛称で親しまれているエチュードop.10-12や、静かで美しい旋律と不安を促すフォルティッシモの同音連打との対比が聴く者を引き付ける、「雨だれ」と呼ばれるプレリュード15番などを指す。そして「ショパン的音楽」というのは、ショパン特有の言語、ショパンの匂い(臭いと言っても過言ではないほど強烈な)を内に有する音楽を指し、聴衆の興奮を完全に掌握しコントロールする前奏や中間部を持つショパン臭の塊である「英雄」的なポロネーズop.53や、最小限の音々が織り成す最大限のピアニズム、ショパンが全愛国心を捧げた名曲たちである多くのマズルカがそれである。ピアノコンチェルト第一番などは全曲を通じて後者の部類であり、吐き気を促す程の強い臭気(良い意味での)、可感知の極限まで高まる焦燥感、ポーランドの曇り空を連想させる拙いオーケストレーションなどは、まさに「ショパン」そのものであると考えられる。 ショパンの音楽に於いて私が重要視しているのは、この後者に属する楽曲である。これらは完全にショパン独自の言語をうちたてており、1小節聴くだけでそれとわかる程の特徴をもっている。それらにはドイツの伝統的理論では解決できない和声なども多くふくまれており、リストやワーグナー、ドビュッシー、スクリャービンらともに、後の無調音楽へと続く重要なものである。 ではショパンの「ロマン派的音楽」は軽視すべきかというと、そうではない。それらは後のピアニズムの発展に大きく貢献しているからである。ショパンの楽曲のほとんどがピアノ音楽であり、それらは難しいものばかりである。現在では誰でも弾きこなせるショパンのエチュード集であるが、これらは、150年前のピアニストにとっては天までのびる高い壁であっただろう。ショパンはリストと共に、近代ピアニズムに直接つながる大事な存在なのだ。 <楽曲解説>
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