現代音楽の定義

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 そもそも「現代音楽」とはなにを指す言葉であろうか? それは20世紀以降の音楽、第二次大戦後の音楽などの時代的概念を指す場合から、無調音楽や前衛音楽といった楽曲の直接の概念をいう場合まで、実に様々である。しかもそれらは互いに矛盾し合っている。たとえば、ウェーベルンの無調音楽は第二次大戦以前のものである。20世紀音楽の大半は調性の認められる音楽である。
 では、このサイトでは何をもって現代音楽とするか。私個人の内での定義は「典型的な古典派およびロマン派音楽とは異なる性質を持つ音楽。前衛。」である。いくつか例をあげよう。ショパンのピアノソナタ第二番は、非現代音楽である。それも、全楽章を通じて非現代音楽であるため、19世紀には不可解であっただろう第四楽章も非現代音楽である。即ち、ある楽曲を聴く場合の視点の位置は、私の場合は「現代」にある。当時の典型的楽曲に比べていくら前衛的であったとしても、この第四楽章は現代の種々の急進派に比べれば保守的である。ある楽曲とそれを計る物差しは、私の場合「現代」なのだ。
 では、モーツァルトのオペラ「魔笛」はどうであろうか。前述のショパンの作品よりも前の時代の音楽である。しかし私は、この曲を「現代音楽」であると考える。このオペラとベルクのオペラ「ヴォッツェック」を比べて、さてどちらがより現代音楽的、あるいは前衛であるだろうか? 「魔笛」の現代音楽性は、ブーレーズやシュトックハウゼンの種々の前衛に匹敵するほどのものであると私は考える。
 最後に、Jポップから一つ例をあげてみよう。小田和正の「愛をとめないで」。この曲は、時代区分的には明らかに現代音楽である。しかし、この曲が前衛であるといえるだろうか? もちろん、シューマンの歌曲に比べればずっとずっと現代音楽的要素が濃い。では、シェーンベルクの「ワルシャワからの生き残り」と比べてみたらどうか。時代的にはシェーンベルクの方が古い。しかし、これらの現代音楽性の差はいうまでもない。
 以上のように、「現代音楽」の定義は、単なる時代区分では間に合わない部分がある。ではどうしたら良いかということになると、それはもう各々の主観に頼るしかないのである。ブラームスの交響曲を現代音楽とし、シュニトケのそれを古典的であると捉える人もいるだろう。それはそれぞれの自由である。しかしこのページでは、現代音楽の基準を「筆者の主観」とさせていただきたい。この基準は、私の感覚が変わるにしたがって変化してゆくだろうことをお許しいただきたい。
 結論:「現代音楽」の定義のみならず、「現代音楽」と「非現代音楽」の境、「ポップス」と「クラシック」の境、「ジャズ」と「バロック」の境など、様々な音楽を種類別に定義してみたり区分してみたりすることは、全く不可能である。それらの区分はただ便宜を図ってのものであり(たとえばレコードショップの類別棚分け)、絶対としての分類など存在しないのだ。ただ作曲家別の分類は可能である。なぜならそれは一つの芸術的精神から発した様々な「かけら」であるからで、「クラシック」と「ジャズ」などの区分とはまったく異なるものだからである。「ノートルダム・ミサ」と「プリ・スロン・プリ」は、異なる芸術精神から発した異なる色彩を持つ「かけら」である。それらを「クラシック」という人口的な枠に押し込み万国共通とするのはまったくおかしな話で、それはただ人々の主観のみによって可能であるため、統一された区分などは存在不可なのだ。中には私の主観としての「現代音楽」に不満を持つ人もいるかもしれない。しかし、それはそれですばらしいことである。人の主観は、他の人の主観とのずれと遭遇したとき、互いに影響し合い、新たな発展を遂げるものである。もし私と異なる考えを持つ人がいたら、その理念をお聞かせいただければ幸いである。私の理念と相反する思想、それによって私の主観はまた一歩前進するのだ。