CROSS 4.5――夜空とトマトと流れない星

 街灯がぽつぽつと灯るだけの暗い道。
 重い通学カバンを背負い、絵の具のついた指を撫でながら、あたしは一人で歩いて帰る。腕時計はしていないけど、九時ぐらいだろうか。
 一人で残って背景を描こうとしていた前園に気付いて、結花ちゃんと一緒に手伝い始めたのが六時前。大道具係リーダーの山田さんに連絡したら、山田さんはなんだかすごく張り切ったらしくて、大道具係全員を招集してくれた。十二人の大道具係プラス前園が家庭科室で模造紙を囲んで、狭いし筆は足りないしでみんなぎゃあぎゃあ言ってたんだけど、でも結局けらけら笑いながら、副リーダーの正木さんが混ぜた五色の緑色で模造紙に森を作っていった。
 あまりにも夢中で塗ってたから、延長時間の八時を過ぎたことに気付かなくて、見回りに来た木村先生に軽く怒られた。それから片付け始めたから、校舎を出たのは八時半を過ぎていた。「まぁ、明日は土曜日だからいいけどね……」と言いつつも全然よくなさそうな表情の木村先生を見て、あたしたちは慌てて解散した。休日前にすみません、木村先生。
 ということで九時。そんなに遅くないと思うんだけど、通学路途中のこの辺りは、道沿いは家が並んでいるけれどその向こうには田んぼとか畑とかが結構あって、この時間でも暗くてしんとしている。
 ……なんかちょっと、怖いなあ。
 あああっ、そう意識し始めると余計に怖くなってきた! 今まで平気だったくせに、背筋がぶるっと震える。やだやだ、早く帰りたい……。自然に足が速くなる。
 足元を冷たい風がすくった。スカートとハイソックスの間、膝ががくがくする。すごく嫌な冷たさだ。
 また風が吹いた。怖いくらいに寒い風が、足から全身を突き抜ける。
 がたがたがたっ、と激しく何かが揺れる音!
「な、何っ……!?」
 速めていた足が止まってしまう。激しさをどんどん増していく、その音。やだ、何、何なのー!?

 足元のマンホールのふたが開いた。
「あ、……の、のばら?」

 目が点になった。

 ……暗くてよく見えないけど。けど!
 目立つ金髪、目立つファンタジックな服装、聞き覚えのありすぎる声! っていうかそんなとこから出てくる可能性がある奴を、あたしは一人しか知らない! 一人だって知りたくないけど!!
 本当、どこからでも現れるなお前はぁぁっ! ああもう!
「どこから出てきてんのよ、高橋ィィィ――ッ!!」
「マンホールから」
「それは見れば分かるからぁぁ!!」
 高橋は勢いをつけてマンホールから飛び出した。軽く地上に降り立った高橋は、最初に会った時と同じ、はためく長いマントを身につけている。
 マンホールの蓋を閉め直して、高橋はあたしの正面に立った。
「……どうしたんだ? この時間に学校から帰ってくるなんて、珍しい」
 左腕にはめた腕時計に視線を落として、高橋が尋ねる。
「さくら集会の劇の、背景を描くために残ってたの。今週から、八時まで学校にいられるようになってるでしょ」
「ああ、そういえばそうだったな」
 そう言って金髪を掻く。臨時の非常勤講師だから、忘れてたのかな。
「出くわしたのがあたしだからいいけど、……いやあんまりよくないけど、とりあえず来週はこの時間に帰る守中生が増えるから、マンホールから飛び出るならもっと遅い時間にしてね」
「ああ、そうする」
 素直に頷くと、高橋はくるっと後ろを向いた。
「それじゃあな」
「……へ!?」
 あたしがすっとんきょうな声をあげたときには、すでに高橋は二、三歩歩きだした後だった。
「え、ちょ、ちょっと待って高橋!」
 慌ててその長いマントを掴む。首が引っ張られたらしく、「うぐ」と小さな声が上から聞こえてきた。
 いや、ちょっと、おかしいって! なんかおかしいって、高橋の態度!
 渋い顔をしてこちらを向く高橋が何か言う前に、あたしは慌てて叫ぶように問う。
「ね、ねえ高橋っ! あたしは学校から帰る途中だけど、高橋は何をしてんの?」
「……あー、その」
 目が泳いでる。あたしはずいっと高橋に近寄った。
「その格好からして、また魔物逃がしたとか」
「逃がしていない」
「ふうん……?」
 それは即答だった。
「そういえば最近、冬休みの頃に比べたら、魔物を逃がさなくなったよね、高橋」
 そう言うと、高橋の指先がぴくっと動いた。
 眉間にしわが寄ってる。目を合わせてくれない。
 魔物を逃がしたわけでもないのに、濁すようにもごもごと何かを言っていて。
 最近こいつおかしいけど、今日はますますおかしい。変な、……不安を感じる、おかしさだ。
「まあそれは置いておいて、でも、魔物を追ってるんでしょ? ってことは、逃げたんじゃなくて、普通にこっちに迷い込んできたんだよね」
「あー、……ああ」
 埒があかないと思ったのか、高橋は視線を反らしたまま、低い声で言う。
「のばら。もう九時だし、のばらは劇の準備をした後なんだろう? 明日は土曜日だし、部活もあるだろうし、……手伝えとか言わないから、早く帰れ」
 冬休み、さんざんあたしを魔物退治に連れまわした奴が何を言うか。
 もう、意地みたいなものだ。
「残念でしたー、日曜日に部活があるから明日は休みですー」
 明らかに高橋の眉間のしわが増えた。
「……部活がなくても! 遅くまで学校で残ってたんだから、素直に帰……」
 苛立ちが含まれ始めていた言葉が、途中で切れた。ぴくっ、と高橋の眉が動く。
 一拍遅れて、ひゅう、と凍るような空気が駆け抜けた。
「ひゃっ……!? こ、これって」
 魔物の冷気だ。――魔物が、すぐそこにいる!
「……くそ」
 舌打ちをして、ちらっとあたしを見て。高橋は右手を前に突き出した。揺れる碧の目が、鋭くなっている。
「そこか」
 何もない暗い道の、一点を見つめて。小さく低い声で何かを呟く。
 じわり、と闇に何かが浮かび出て。急速に、「それ」は現れた。

 現れ――あれ?
「……どこ?」
 なんか、虚空に黒い滲みみたいなのが現れて、それがぶわって広がって。魔物が出たー、って思ったんだけど、その滲みが消えた後、そこには何もいなかった。
「……あのー、高橋、魔物さんは……」
「そこだ」
 高橋が指さしたのは、五メートルほど先にある、街灯。の、電灯部分。獅子とか牛とか竜とか、そういう魔物は、いない。
「えーと、街灯の……どこ?」
「電灯のところでちらちら飛んでる、……あ、今ちょっと離れた、あれだ、あれ」
 高橋の長い指が、何かを指さして動いている。
「ほら、今、街灯の笠に止まった」
 そして止まった。その指の先にあるのは……。
「あの蛾」
「……って、蛾!?」
 え、蛾!? 獅子とか牛とか竜とかじゃなくて、蛾!? 蛾の魔物って、……蛾の魔物って、お前!
「ああ」
 当然のように頷く高橋。いや、その、……蛾、って。確かに他の魔物と同じく、黒い色をしてはいるけど! しかも通常サイズ。大きくても嫌だけどさあ、だけどさあ!
「『グリーゼ』という小さな魔物だ。ふらふらと飛び回るし、なかなか追うのが大変だったんだぞ。小さいから見つけづらいし」
「へ、へえ……」
「要するに虫みたいなものだから、何をしてくるか行動が読みづらい。そのくせ、以前の悪魔のように攻撃してくることもあるから、」
 高橋が視線だけを一瞬こちらに向けた。苦い顔で、何かを口の中だけで呟いて、
「……もう仕方がない。のばら、離れるな」
 既に目は、グリーゼを見ている。押しつぶしたような淡々とした声で、短くそれだけ言った。
 危ないから、さっさと帰れって言ったんだろうか?
 それだったら謝ろうと思ったけど、でも口を開ける前に、それは違う、と思いとどまった。――「危ないから」だったら、あたしにそう言えばいいんだから。そうしたら、あたしは素直に帰るだろう。
 じゃあ、どうしてさっさと帰れって言ったんだろう……?
「的が小さいが……とりあえず、さっさと終わらせるぞ」
 あたしの思考は、高橋の声で中断された。高橋は右手を街灯へ向けている。あー、そういえばこいつ、狙いを定めるのが苦手だって言ってたっけ。大丈夫かなあ。
 高橋の右手に、光が宿り始める。徐々に大きくなる光。グリーゼは気付かないのか、まだ街灯の周りをふらふら飛んでいる。
「いくぞ」
 高橋は光を放った。

 そして、トマトが出てきた。
「……って、ちょっと待てやぁぁぁぁっ!!」
 高橋の右手から、光が離れた瞬間。飛んでいくと思われたそれは、急速に収束して。中から現れたのは、わあ、美味しそうな赤いトマトだねー。……なんでだよ!!
「あ、ミスった」
「ミスしすぎだって!」
「仕方がないだろう、俺は狙いを定めるのが苦手なんだ」
「狙いとトマトはどういう関係性があるんだよ!」
 地面に転がるトマトを拾い上げ、高橋がそれを角度を変えながら見る。
「しかし完熟だぞ」
 知らねえよ!
 グリーゼは、未だ街灯から離れない。なんか、こうなることを見越してたのかって思うくらいの余裕っぷり。蛾だけど。
 マントの内側にトマトを隠して、高橋が再び右手を突き出す。
「よし、とりあえずもう一回」
 白い光が、また膨らむ。
 ――そして、なすびが出てきた。
「あれ、おかしいな」
 本当にな!!
「……いつもなら長いなすびが出てくるのに、今日は丸いな。この地域の特産品が確か丸いなすびだったから、その影響だろうか」
「そこ!? なすびが出てくるっていうのがそもそもおかしいでしょ、エクソシスト的にも物理法則的にも!!」
「エクソシストが食糧難を救う時代が来るかもしれない」
「それはもはやエクソシストじゃねえよ!!」
 高橋は首を傾げ、今度は左手を前に出す。
「利き手でない方でやってみた方が、案外上手くいくかも」
 ああ、それは一理あるかも。気分が変わるし。
 そう思っていたのも、とうもろこしが出てくるまでだった。
「今日は調子が悪いな」
「調子が悪いにも限度があるよ!! 何、とうもろこしって!?」
 あたしたちを見下ろして、我関せずと言った調子で街灯周りを飛ぶグリーゼ(蛾)。なんか……蛾に負けてる……。
「……くそ、さっさと終わらせたいのに」
 高橋が口の中で呟いた、でもその小さな声は今度はあたしの耳まで届いた。多分本人は独り言のつもりだったんだろう、あたしが高橋の方を見ても、高橋はグリーゼを見つめるままだったから。
 焦ってる。高橋が。
 地面に転がっていたとうもろこしを、高橋はおもむろに拾い上げた。
「光から出てきたんだから、もしかしたら魔物に効果がある夏野菜かもしれないよな」
 そして大きく振りかぶり、ぶん、と音がしそうな勢いでとうもろこしを街灯に投げつけた。
 綺麗な放物線を描いたとうもろこしは。
 グリーゼを、すり抜けて。間抜けな音を立てて、街灯に当たり、ぼとっと落ちた。
 ……うん。まあ、期待はしてなかったけどさ。
「案の定普通のとうもろこし……って、高橋?」
「ん? ああ、悪い」
 高橋は自分の手を見ていた。呼ぶとすぐに顔を上げたけど、左手で、右手の指先を撫でている。
「どうしたの?」
「いや、少し切っただけで」
 覗きこむと、人差し指に赤い線が走っていた。……とうもろこし投げた時に、皮で切ったのかな。馬鹿じゃん。
 あたしは通学カバンの外ポケットに手を突っ込んだ。部活でハードル走やってるときによくこけるからいつも入れてる絆創膏を取り出す。絆創膏の紙袋を開こうとすると、それを見た高橋が慌てた。
「少し切っただけだから、別に痛くもなんともないぞ」
 ……あーもう、うるさいなあこのエクソシストは。
「はいはい、手、貸して」
「だから」
 まだ何か言ってたので、無理矢理手首を掴んだ。それでも離れようとしてくるから、力を思いっきり込めて引っ張ってやる。
「高橋はすぐにあたしを助けるけどさ、……じゃああたしが少しくらい高橋を助けたっていいじゃん! 減るものでも……まあ絆創膏は減るけどさ」
 高橋が手を引っ込めようとする力が、なくなった。よし、今のうちだ。袋を開けて、剥離紙はがして、指に貼る。くるり、と絆創膏が二周半。
「……そうか」
 不意に上から声が聞こえた。いつもの相槌だと思って、「そうだよ」って返そうとしたら、その前に高橋が続きを口にした。
「そう、だよな……」
「は?」
 独り言みたいなその言葉に、顔を上げる。そうか、って言った時はあたしの言葉に対するただの相槌だと思ったんだけど、そうじゃない、ため息みたいな言葉の吐き出し方だったから。
 見上げた先で、高橋が目を伏せて、笑っていた。音楽の授業の営業用スマイルじゃなく、にやってした意地悪い笑みでもなく。
 あんまりにも珍しいものを見てしまって。あたしはぽかんと口を開けて、高橋の指を掴んでこの角度の首で見上げたまま、動けなくなってしまった。
「いや、何でもない。こっちの話だ」
 手が離れた。ふう、と少し上げた肩を下ろして、高橋は再び街灯の方を向いた。少しだけ端を上げた口から出た聞き慣れた声があたしに向けられる。
「さっさと魔物を『返す』ぞ。神の使い」
 ……って、最後に付け加えた言葉で台無しだし!!
「うわ、それ久々に聞いた!」
「そうか?」
 首を傾げる高橋の顔は、いつものポーカーフェイスに戻っていた。何があったのかは分からないけど、――ああ、いつもの、いつも通りの高橋だ。だからあたしも、元気よく返そう。
「巫女はバイトだからね!?」
「まあそういう細かいところは置いておいて、……さて、問題の魔物だが」
 ひらひらと好き勝手に飛ぶ、黒い蛾。だけど何か感じ取ったんだろうか、光に纏わりながらも、その距離が広がっていく。端の街灯から、道の真ん中へ躍り出た蛾はひと時も止まらずに飛び続ける。だんだんと飛び回るぶれが小さくなる。何か、狙いをつけているような……。
 あれ? そういえばグリーゼは攻撃してくるって、さっき高橋が言ってなかったっけ?
「おっと、危ない」
 高橋がひょいっと片足を上げた。つられてあたしはその足元を見る。
 それとほぼ同時。上げた足元の地面が、ぼんっ、と爆発した。
 ……え、爆発? なんか、アスファルトが凹んでるんですけど。ちょっと砂煙とか上がってるんですけど。
 足元を見ていた顔を上げる。なかなかぎこちない上がり方になってしまった。
 あんまりにも自然に高橋が避けて、あんまりにも自然に爆発が起こったからちょっと反応しづらいんだけど、これってもしかしなくても、
「……あのさ高橋、今の爆発……は、グリーゼさんによるものですか?」
「そうだが。グリーゼは複眼からよく光線を出してくるからな……っと」
 喋りながら、高橋が身体をあたしの方へ少しだけ傾けた。その瞬間、高橋の向こうの家の塀の一部が、大きな音とともに吹っ飛んだ。
 いや、ちょっとやばくないか、この蛾!?
 思わず一歩下がる。暗い道の真ん中、街灯の光の滲みでうっすらと浮かび上がる、小さな黒いグリーゼさん。こんな迫力のある蛾を、あたしは知らない。
 同じところで浮かぶグリーゼが、今度は突然激しく羽ばたいた。
「何、何!?」
「ああ、これは」
 高橋が説明しようとする間に、グリーゼの震えはどんどん強くなっていく。
 一瞬、黒い光が広がって。
「巨大化だ」
 ――次に見えた時そこにいたのは、アスファルトの上に降り立った、蛾のサイズではないグリーゼさんだった。さすがにデネボラとかよりは小さいけど、でも犬くらいはあるんじゃないか、この蛾!
 夜道にでっかい虫、というあんまりにもあんまりなシチュエーションに、あたしは絶叫した。
「ぎゃあああ、なんででっかくなるのよおおお!!」
「エクソシストの研究部門の調査によると、一つ一つの細胞が一瞬で大きくなっているらしい。しかしそのメカニズムは不明だそうだ。今後に期待だな」
「確かにあたしは『なんで』って言ったけど、言ったけど、仕組みを尋ねてるわけじゃないからああ!!」
 むしろ仕組みを聞いて余計に恐怖が増したから!
 夜の支配者のように、グリーゼ(大きい)は羽を大きく動かす。アスファルトの道路から舞いあがった黒い蛾は、ぎゃああ、間違いなくこっちを見てる!
「よし、のばら」
「な、何……?」
 そろそろ声も震え始めたあたしとは対照的に、高橋の声は力強かった。恐る恐る見た先の高橋は、ゆっくりと頷いて。
 あたしの手をとり、くるりと振り返った。
「逃げるぞ」
「結局それかよ――ッ!!」
 迷いなく全力で走る高橋に引っ張られ、あたしはもうそろそろ泣きたくなってきた。後ろは見ないぞ、追ってきてるんだろうけど!

 走る、走る、走る。
 重い通学カバンは、途中から高橋が持ってくれた。荷物持ってるくせに、なかなか涼しい顔をしている。あたしはもう必死です。
「っていうかさあっ、高橋っ! グリーゼって、蛾のくせにっ、どうしてビーム出してくるわけ!?」
「魔物は基本的に、全て攻撃してくるぞ」
「ええ!?」
 すり抜けるから平気だー、って余裕こいてたのに! けっこう危なかったのか、あれ……。ああ、だから、すり抜けるにも関わらず、デネボラから逃げたりしてたんだ。
「でもっ、デネボラも、『裏』で会った牛も、何もしてこなかったけど」
「デネボラなんかは気性が荒いが、だからといってむやみやたらに攻撃してくるわけではない。ただグリーゼは、なんせ虫だから、後先考えずにやってくるな」
 さすが虫。
 ある種の感心をしていると、高橋が周りに目をやった。
「しかし、いつまでもこうやって適当に逃げているわけにもいかない」
 カバンを肩にかけ直す。
「今日はどうにも命中率が悪いから最終手段を使おうと思うんだが、この辺りで最終手段を使っても目立たないところはあるか? そこへ向かって走って、誘導しようと思うんだが」
「ええっ、目立たないところ……って」
 つまり、光を思いっ切り放っても一般人にばれないところ、ってことでしょ?
 今はまだ夜の九時。ここの辺りは人通りが少ないけれど暗いから逆に目立つだろうし、下手にこのまま進むと住宅街に入ってしまってこれはこれで目立つし。
 あ、じゃあ。
「逆に、すごく明るいところなら、ちょっと最終手段で明るくしてもばれないんじゃない?」
「なるほど。明るくて、なるべく姿を見られなくて、適度にざわついている方がいいな。ということは駅周辺、高めの建物の屋上、徒歩五分圏内にコンビニがあるところ、か。なるほど」
「ちょっと待て、最後の条件は何!?」
「魔物退治が終わった後に、芋けんぴが食べたいなあと思って」
 心の底から、どうでもいい条件だった。
 さて、あたしたちが向かう方向にある街の光がだんだんと大きくなってきていた。学校の最寄り駅の隣の駅前に広がる、ショッピングセンターやパチンコ店、オフィスビルや飲食店で賑わう街だ。ただ駅の表側は賑やかだけど、あたしたちが走っている駅の裏側はここの辺りとあまり変わらず、家がぽつぽつ、神社がぽつり、田畑がその間を埋める感じ。
「駅の向こう側へグリーゼを誘導するぞ。しかし下手にグリーゼの関心が俺たち以外に向くとやっかいだからな、ここの辺りならちょっと暴れても問題ないだろうし、適度に刺激して相手の注意を惹きつつ行く」
「へっ、ちょっ、刺激って」
 高橋はマントの下へ手を入れた。出てきたのは、さっき出したものの使い道が全くなかった、なすび。
 それを、一瞬後ろを向いて、高橋は思いっきりそちらへ投げつけた。
 もちろんなすびは追ってくる大きな蛾をすり抜けて、でもグリーゼにしてみれば、それってすごく馬鹿にされてるわけで。
 ぶわっ、とグリーゼの羽が広げられた。
「あ、危ない」
 高橋に手を引っ張られる。口から、悲鳴の端っこが飛び出る。
「きゃ、……ぎゃああああ!!」
 そしてその悲鳴は、直後あたしのすぐそばで起こった轟音で、思いっきり可愛くない叫び声へと進化を遂げた。止められない足の後方、地面が煙を上げてるのが見える。投げたのは高橋だってば!
「よし、こんな感じで。夏野菜も役に立つな」
「頼むからそろそろ普通に魔物を退治できるようになってよ! っていうかホント、なんで夏野菜ばかりなの!? そんなに夏が好きか!」
「いや、冬が好きだし、冬生まれだし、生まれ変わるなら冬になりたい」
「温暖化を加速させて冬をなくしてやりたい気持ちでいっぱいだわ……」
「そんなに冬が嫌いか? 冬は不愉快……おっと、今のはギャグではないぞ」
 ギャグじゃない、って言わなきゃスルーしたのになあ……。
「いや、エクソシスト内に親父ギャグが好きな奴がいてな。うっかりそれらしいことを言ってしまった時はきちんと訂正しておかないと、そいつの仲間認定されてしまうから、つい」
「大丈夫なのかよお前ら!!」
 そろそろエクソシストの未来が不安になってきたんだけど!?
「心配してくれるのはありがたいが、それはまあいいとして、そろそろスピードを上げるか」
 羽音を背に、高橋が肩にかけたカバンを外した。紐を片手で握って、あたしの方へ差し出す。
「ちょっと持ってくれ」
「え、うん?」
 走りながらで少しうまくいかなかったけど、なんとかカバンの本体を両手で受け取る。カバンから離れた高橋の手は、そのままあたしの腰に伸ばされた。……いや、ちょっとちょっと!?
「へ!? ちょっと高橋ー!?」
 身体が浮き上がる。高橋の頭が下に見えるまで高いところまで、ひょいっ、と。そのまま抱えられ、あたしは担ぎあげられた。お腹が高橋の肩に乗せられてて、頭が高橋の背中側、足が高橋のお腹側。
……って、花の女子中学生を、抱くならまだしも担ぐって。
「何すんのよー!」
「舌噛むから喋らない方がいいぞ」
「はぁっ!? ……ちょっ、嘘おお!?」
 たん、と軽く高橋が地面を蹴った。急にがくんと下に引っ張られる感覚がしたと思ったら、周りの景色が急速に下に流れていく――要するにあたしは十五メートルほど、上へ向かって飛んでる!
 掴んでいたカバンを取り落とす、手を伸ばして紐を掴む。手がカバンに引っ張られて肘に強烈な違和感、慌ててもう片方の手で握りしめて手繰り寄せ、あたしはカバンを抱えた。
 瞬きを忘れていた目が、冷たい空気でからっからに乾かされる。
 高橋の足が、ふわりと電柱のてっぺんを踏んだ。一旦沈んだ身体が、今度は斜め後ろ、高橋の進行方向で言うなら前方へ揺り動かされる。三十メートル間隔の電柱を飛ぶように次々に踏み、景色が吹っ飛んでいく。
「……っ何、何、何ぃいい――!?」
 確かに高橋は上から降ってきたり電柱の上に立ってたりしてたし、飛べるんだってことは知ってるけど! でも、それに自分も巻き込まれて冷静でいられるほどあたしは大人じゃない!
「なんで飛んでるのよおおー!」
「飛んでいるというのは正しくないな。正確には違うんだが、分かりやすく言うなら、重力が小さくなっているんだ。だから、電柱を渡り歩けても、ずっとは飛んでいられない。限界まで軽くなったって、いつかは地面に落ちる。そういうものだ、残念ながら」
「だから、だから仕組みを聞いてるわけじゃないんだってば――!!」
 しかもあたしは高橋の後ろに顔を向ける形になってるわけで、それってつまり今も五メートルくらい後ろを追っかけてくるグリーゼとばっちり目が合ってるってことで!
 必死であたしは上半身を起こし捩って前を向く。ちょうど高橋が電柱を蹴って、身体ががくんと落ちた。高橋の肩がお腹に当たって、あたしのつぶれた声は風に流されてすぐに消える。今度はとんでもない声が出ないように、片手でカバンを抱えて、もう片手で高橋の肩を掴んで。
 みるみるうちに街の灯りが迫ってくる。
「のばら、グリーゼは?」
「ちょっ、それをあたしに聞く!?」
「ああ」
 くっそー、せっかく前を向いたのに!
 視界の端にだけ、後ろに迫るはずのグリーゼを入れて。
「……高橋っ、なんか発射してきそう、あああ口開いたぁああ!!」
「ん?」
 前を向きっぱなしだった高橋が、ちらりと後ろを見た。その瞬間。
 グリーゼの小さく開いた口の前に黒い光が灯る、それを確認して一秒も数える間もなく、それはあたしたちに――次の電柱へ伸ばされていた高橋の足元に放たれる。
「高橋、足に!」
「そうか」
 高橋が伸ばしていた膝を曲げる、当たり損ねた黒い光はその先で霧散する。けれど電柱に足を着こうとしていたことを途中で邪魔されて、ぐら、と世界が斜めを向いた。
「ちょ、お」
 カバンと肩を掴む手に力がこもって、自分の手が痛い。
「落ちるって――!」
 しかもこのままだとあたしは後頭部から落ちる!
 遠くなる電柱の先端、視界に入っていたそれが、突如ぐるりと回った。世界も、あたしの脳みそもぐるりと一回転、そして着地。きっちり足から降り立った高橋は、間髪入れずに再び走り出す。
「少し刺激しすぎたか」
「そりゃあ、さすがになすびを投げられたらグリーゼも怒るって!」
「じゃあ今度はトマトを投げよう」
「やーめーて――!!」
 あたしの半泣きの制止なんてそれこそ蛾(通常サイズ)みたいなもので、高橋はひょいっと今度は完熟のトマトを後方五メートル先へ、狙い違わず投げつけた。その命中力を、頼むからエクソシスト業に生かしてよ!
 ああ、後ろ向きのあたしには、すり抜けたうえ到達した先のアスファルト上で潰れた完熟トマトと、複眼をかっと光らせたグリーゼさんがばっちり見えます。
 もうすぐそこに、駅のホームが見えた。片方に、新快速列車が止まってる。新快速は止まるけど、そんなに大きな駅ではなくて、駅舎も全体的に汚い。地方のある一つの駅、だ。
「行くぞ」
「うえええ、また――!?」
 あたしの叫び声を置き去りに、高橋とあたしの身体は再び地上の束縛を逃れて電柱の上でワンステップ、そのとき今までよりも深く踏み込んだ高橋は、灰色の駅舎へ向かって、思いっきり跳んだ。
 華やかな駅周辺も、あたしたちが来た側は薄暗い。駅舎から出る階段の屋根に高橋は足をつき、そして一気に駅舎の屋根へと飛び乗った。目の前に現れる、駅の向こう側、賑やかな街明かり。煌めく色、光、喧騒。今度は飛ばずに、その屋根の上を駆ける。
「……あそこだな」
 輝く街を鋭く睨み、高橋は小さく口を動かした。どこへ行くつもりなのかさっぱり分からないんですけど! 次はどれだけ高く飛ぶのか、なんかもう泣きそうなんですけど! あと、相変わらず五メートル後ろにグリーゼさんが付いてきてるんだってばー!
 というか、駅の屋根の上なんてとこでこんな派手に走っててばれないのかとも思ったんだけど、ホームからはちょうど屋根が邪魔になって見えないし、屋根の上は当然暗いため明るい方から見にくいこともあってか、誰もあたしたちのことを気にする気配がない。誰か気付いた人があたしたちを指さして「何だあれは!」くらい言っててもいいと思うんだけどなあ、この暴れっぷり。案外、堂々としていた方がばれないのかもしれない。……いや、でも高橋にはもう二度と電柱の上に立ってあたしを探すことはやめていただきたいけど!
 スピードが上がる。屋根の端が近付く。
 そのぎりぎりまで助走を続け、一番端っこで、高橋は踏み切った。
 高く舞い上がる。寒い風も、賑わいも、置き去りにして。
 速度が落ち、一瞬の制止の後、放物線の頂点を超えてゆっくりと身体が下へと引き戻され始める。あたしたちの下にあるのは、――ああ、先月友達と行った、ネオンでごたごたに彩られた六階建てのカラオケ店。
 くるり、と高橋が身体を反転させた。後ろ、というか後方下を見ていたあたしも身体を前に向ける。あたしたちとは違って一直線に飛んでいたグリーゼは、もう目の前に迫っていた。
 高橋が右手を突き出す。
「最終手段」
 名前と見た目だけは派手な、最終手段という名の通常攻撃を。
「……発動!」
 ぱあん、と白い光が一瞬、あたしの視界を、世界を奪った。

 飛びっ放しだった身体が、ようやく地に辿りついた。といっても、カラオケ店の屋上なんだけど。
 きっちり足から着地した高橋の腕から、あたしは飛び降りた。いきなり足が地に着いたせいでよろめいて、伸ばされた高橋の手を掴んでなんとかあたしは立った。
 ああ、今さら膝が笑ってる……。
 深いため息をついてふと顔を上げると、同じく高橋が長い息を吐き、どすん、とお尻から座りこんだ。そのまま仰向けに倒れ込む。
「高橋ー?」
「……さすがに疲れた」
 胸が大きく上下してる。皺のつきそうなマントも、ぼさぼさの髪の毛もそのままに、目を閉じて。そりゃ、空を跳べるファンタジック生命体だって、あたしを抱えてあれだけ走って跳んでれば、疲れるよね。
 あたしは小さな声で尋ねる。
「あのさ、……重かった?」
「何がだ?」
「……何でもない」
「そうか」
 碧の目が開いた。一つ息をついて、高橋が身を起こす。
「グリーゼの攻撃を読み取ってくれたのは助かった。足に来る、と咄嗟に言えるのだから、才能はあるのだし、後は相手が虫だからといって目を反らさないようになればいいんじゃないか」
「あっ、あんなでっかい虫、もう嫌だし! っていうかそもそもエクソシストになりたいわけじゃないってばー!」
「……それもそうだな、巫女だし、エクソシストは無理だよな」
「巫女もバイトー!!」
 ああ、せっかく落ちついてきた息をまた荒げさせやがって!
「さて。夜も遅い、そろそろ帰るか」
 高橋が立ち上がる。左手首の時計を見せてもらうと、短針が差すのは十の位置。これはお母さんに叱られそうな気がする……。
 ……っていうか。
「あのさ高橋」
「何だ?」
「……ここから、どうやって降りるつもりだったの?」
 現在地、六階建てのビルの屋上。
 降りようにも、降りた先は人の行きかう道で、さすがにこれは堂々としていればばれないとかそういうレベルじゃない。
 首を軽く傾げ、口元に手を当てて、やがて高橋はポーカーフェイスで言った。
「……よし、これから考えようか。神の使い」
「この馬鹿高橋――ッ!!」

 追記。
 人が通らないことを確認したうえで、裏通り側へ降りました。
 見られていないと信じたい。

(2010/03/05)

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